タロとジロの日(1月14日)

意味・由来とは?

1月14日は「タロとジロの日」です。1959(昭和34)年、南極大陸で南極観測隊の2匹の樺太犬タロとジロの生存が確認されたことにちなんで制定されたといわれています。

日本による初期の観測隊に同行した樺太犬の兄弟でしたが、南極に1年間取り残されながらも生存した2匹の生還は日本中に衝撃と感動をもたらしました。

2頭の勇気と、生きることへの希望、愛することの大切さを忘れない日として、記念日が制定されました。「タロとジロの日」は「愛と希望と勇気の日」とも呼ばれています。

 

 

タロとジロ – Wikipedia

この名前は白瀬矗の南極探検の際、犬ぞりの先導犬として活躍した樺太犬、タロとジロ(「タロウとジロウ」、あるいは「タローとジロー」とも)にちなむ。

奇跡の生存

1959年(昭和34年)1月14日、第3次越冬隊のヘリコプターにより、上空から昭和基地に2頭の犬が生存していることが確認される。着陸すると駆けてきて操縦士に寄ってきたが、個体の判別がつかなかった。急遽、第1次越冬隊で犬係だった北村が次の機で基地に向かうことになった。犬達は北村に対しても警戒していたが、北村は2頭の中の1頭の前足の先が白いのを認め、「ジロ」ではないかと考え名前を呼んだところ反応して尻尾を振った。もう1頭も「タロ」との発声に反応したことから、この兄弟が生存していたことが確認されたのである。

基地には7頭の犬が首輪につながれたまま息絶えており、他の6頭の消息は知れなかった。基地に置いてきた犬の食料や死んだ犬を食べた形跡はなく、アザラシの糞やペンギンを食べて生きていたのだろうと北村は推測している。北村らは3次隊越冬の際、タロとジロが2頭でアザラシに襲いかかる所や食料を貯蔵する所を目撃している。この兄弟は特に首輪抜けが得意な個体だったと言われる。

 

タロ・ジロのおはなし | 公益財団法人日本極地研究振興会

タロ・ジロのおはなし. taro_jiro. みなさんは、タロとジロを知っていますか?. 日本の 南極 なんきょく 観測隊 かんそくたい に 同行 どうこう した、カラフト犬の 兄弟 きょうだい です。. 1959年( 昭和 しょうわ 34年)1月14日、 南極 なんきょく に 置 お き …

 

 

樺太犬タロ・ジロの一生/わっかりうむ 稚内市青少年科学館

樺太犬タロ・ジロの一生. 母 : 稚内市 内山 元所有のクマの間に出生。. 南極観測に犬ぞり隊の使用が決定。. 北海道内に約1000頭の樺太犬が存在、そのうちそり犬に適していたのは40~50頭。. 稚内公園頂上訓練所で犬ぞりの訓練 をする約40頭(20日)。. 第1次 …

 

天皇皇后両陛下、今の上皇さま上皇后さまが車から降りてこられました。

1997年9月に「ふしぎ大陸 南極展」を視察された時の様子です。 お二人は、日本初の南極観測隊で犬ぞり隊として活躍したカラフト犬のはく製に足を止められました。第2次観測隊が越冬を断念し、撤収する時に置き去りにされた15匹のうち、その後の1年間を生き抜いたタロ、ジロのはく製です。 全身黒く長い毛でおおわれ、体重は30キロを超えます。2匹は兄弟で、足の先が白いのがジロです。 2匹が生きていたことは大きなニュースになり、南極観測の歴史の中でも最も知られたエピソードになりました。

1959年1月、第3次観測隊が南極に到着したとき、そこに2匹のカラフト犬が現れました。 それがタロとジロです。 1957年2月、第1次観測隊に連れられて南極にわたったのは、カラフト犬22匹、オスの三毛猫1匹、そしてカナリア2羽でした。 うち、タロ・ジロらカラフト犬19匹、猫とカナリアが越冬します。 しかし、次の第2次観測隊は、砕氷船「宗谷」が氷に阻まれて動けなくなり、越冬を断念。 1958年2月にカラフト犬15匹が鎖につながれたまま置き去りにされました。…….