
意味・由来とは?
安政7年(1860年)1月13日、江戸幕府の所有する軍艦咸臨丸が品川を出港したことに由来しております。 咸臨丸は日米修好通商条約を批准するために出港、同年2月26日にアメリカ西海岸のサンフランシスコに入港したことで、日本初の正式な太平洋横断航海をしました。
勝海舟、福沢諭吉、中浜万次郎らの遣米使節を乗せ、江戸品川沖を出航したことから。日米修好通商条約の批准が目的であったが、日本人初の正式な太平洋横断航海でもあった。
咸臨丸は1月13日に江戸品川を出航した後、1月19日に浦賀から再び出航したので、1月19日が正式な出航日とする説も。
(2019年12月) 咸臨丸(1860年頃) 江戸幕府 1855年 (安政2年)7月、 オランダ の キンデルダイク にて起工。 1857年 (安政4年)3月、完成。 8月4日 (旧暦) 、日本へ送られ、 長崎海軍伝習所 の練習艦となる。 1860年 (万延元年)、 日米修好通商条約 の批准書を交換するため、 遣米使節団 が派遣され
近代国家形成の幕開けとなった太平洋横断の快挙はこうしてなし遂げられた。 咸臨丸の彷徨 太平洋横断後の咸臨丸は、神奈川や横浜港の警護の役にあたり、1861(万延2)年には、ロシアによる対馬の一部占領に対する抗議活動、翌年には、小笠原の領有権確保のための調査活動、榎本武揚などオラ
第25回 (令和5年度)咸臨丸フェスティバル 時は幕末、勝海舟を艦長格とする咸臨丸は、安政7年(1860年)に浦賀から出港し、日本人初の太平洋横断を成し遂げました。 「咸臨丸フェスティバル」は、この壮挙を称えて、開国の町「浦賀」で行われるイベントです。